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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)2170号 判決

控訴人 斎藤道厚 外一名

被控訴人 林憲栄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人等の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。被控訴人と訴外劉咸との間に、被控訴人を買主、劉咸を売主として昭和二八年九月二二日別紙目録記載の建物についてせられた売買契約の無効であることを確認する。被控訴人は右建物につき、東京法務局北出張所昭和二八年九月二四日受附第一七、〇八七号を以てせられた、同年同月二二日の売買による被控訴人のための所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。被控訴人は控訴人斎藤道厚に対し金一五、〇〇〇円及びこれに対する昭和三一年六月二一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出援用認否は、原判決の事実摘示における被控訴人の主張中に、本件家屋の賃貸借の期間が「一ケ月」とせられているのは「一ケ年」の誤記と認めて訂正し、なお控訴人等において乙第九号証の一、二、第一〇号証を提出し、原審証人滝沢七郎の証言を援用すると述べ、被控訴人において乙第一〇号証は不知であるが、第九号証の一、二は成立を認め同号証の一を利益に援用すると述べ、当事者双方において次に記載の通り主張した外は、原判決の事実摘示の通りであるからこれを引用する。

(控訴人等の主張)

劉咸は適法に本件建物の所有権を取得していない者であるから、同人からその所有権を譲受けたという被控訴人もその所有権を取得し得なもいのである。

(一)、劉咸は不正入国者であるから日本国において土地建物のような不動産の所有権を適法に取得し得ない。即ち乙第七号証によると、劉咸は「一ツ世界」促進会の最高委員で、その趣旨の運動のために日本に渡来したものであることに間違いはない。外国人がかような看板を掲げて戦後の日本に入つて来ることは治安上許さるべきではないし、同人は一度入国にも失敗した後、合法を粧つて入国したものと考えられるが、それが依然不正の入国であることは疑いがない。そして同人が昭和二七年一一月一〇日に中華民国人として外国人登録をしていることはこれを認めるが、たとえ外国人登録法による登録をしていたとしても、密入国の不法性はこれによつて除去されるものではないから、同人は適法に本件の不動産の所有権を取得することはできない。従つて被控訴人も本件の所有権を同人から適法に承継することはできない。

(二)、また外国人の財産取得に関する政令の別表にいう中華民国中には、現在いわゆる中共治下にある地域を包含するものと解すべきではない。けだし、いわゆる中国が、事実的に政治的に、中華民国と中華人民共和国とに分離され、今日国際的に異る関係において律せられていることは公知の事実である。前者は自由諸国に属するものとして日本とも国交を回復し、正常な取引関係を最恵国的に認められているが、後者はこれに反し、まだ戦争状態が継続し国交が回復されていない。かように観念的に異つた国人を法令が同一に取扱うものとは到底考えられないところであるからである。

劉咸はいわゆる中共治下の国人であり、昭和二八年一〇月二九日興安丸で出国した後も中共治下の北京に帰つたものであつては前記政令の別表にいう中華民国の国籍を有する者というべきではないから、同人が日本において土地建物等の所有権を取得するには、前記の政令によつて主務大臣の認可を必要とするのであり、西田甚作から劉咸に対する本件建物の所有権移転にはその認可がないのであるから、劉咸の右所有権取得は無効であり、従つて被控訴人も同人からこれを承継取得することはできないものである。

(被控訴人の主張)

(一)、控訴人等の劉咸は不法入国者であるとの主張はこれを争う。被控訴人の調査によれば、同人は戦時中学生として適法の手続により入国し、昭和二八年一〇月二九日興安丸によりこれまた適法により出国したものである。しかも同人は昭和二七年一一月一〇日に中華民国人として外国人登録をしていることは乙第九号証の一によつて明かなところであつて、しかも外国人登録は自分の意思だけで勝手にできるものではなく、出入国管理令による審理を経て在留資格及び在留期間を決定された者が申請して、外国人登録法により登録されるものであつて、劉咸がその外国人登録をしたことが明かである以上、入国経路の如きは今更せんさくの必要はない。従つて仮に劉咸の入国手続が適法でなかつたとしても、同人が前記政令にいう中華民国人であることには何等の変りもない。

(二)、また控訴人は、劉咸は中共治下の国人であるからその不動産取得には主務大臣の認可を要すると主張する。何を以て劉咸を「中共治下の国人」と称するのか明かでないが、恐らくは甲第七号証(留日華僑聯合総会の証明書)に同人の「籍貫」を「北京市」と記載してあるところから、中共治下の北京に本籍を有する劉咸を以て、本件不動産取得当時中華民国人であつたとすることはできず、結局「中共治下の国人」に外ならぬと主張するものと思われる。

しかし、この主張にはまず「籍貫」という文字についての誤解がある。即ち籍貫なる文字の本来の意味はなるほど「本籍」である。しかしこれを日本流の本籍と解することは大変な誤解であつて、「籍貫」という言葉の正しい意味は「出生地」である。というのは、中国はまだ戸籍制度が整備せず、従つて日本流に戸籍上の本籍を移すということが全然ないため、たとえば北京で生れた者は「籍貫北京」としてその者の生活の本挙の移動などと関係なく一生これがその者についてまわるのである。従つて「籍貫」という言葉の正しい意味は「出生地」とせねばならないのであり、劉咸の籍貫が北京市であるからといつて、中華民国人でないとは到底いえないことである。

また、元来日本としては国民政府によつて統いられる中華民国を承認しているだけであつて、法律上二つの中国は存在しないのである。従つて法律的には、大陸と台湾との別なく、中国全土はすべて中華民国の領域であり、いわゆる中国人は、その思想出生地等の別なくすべて「中華民国人」である。従つて仮に日本国に在留する中国人が法令による外国人登録をせず、且つ中華民国総領事館に華僑としての登録をしてなくとも、日本国の法律上は「中華民国人」といわなければならない。況んや劉咸は昭和二八年四月八日本件不動産を取得し、同日その登記をしたものであるが、その以前である昭和二七年一一月一〇日に日本国の法令により「中華民国人」として外国人登録をしており、且つ中華民国駐日代表団僑務処に「華僑」として登録済であつたものであるから、この劉咸を以て中華民国人でなく、従つて不動産取得に主務大臣の認可を要するものとすることは到底できないところである。

なお劉咸が興安丸で出国後北京に帰つたことはこれを争わないが、これは同人の本件不動産取得の能力には何等の関係もないものと考える。

理由

一、成立に争いのない甲第一、二号証、第四、五号証、第六号証の一ないし五、控訴人本人斎藤道厚の原審供述により成立を認める乙第二号証に原審証人田宝民(第一、二回)、韓学謙、小泉勝五郎、滝沢七郎の各証言、被控訴本人の原審供述、原審証人斎藤ちよの証言の一部及び控訴本人斎藤道厚の原審供述の一部を綜合すれば次の事実が認められる。

控訴人斎藤は自己の唱導する綜合学の研究とその発展を助長する目的で、昭和二八年春頃劉咸、大日方弘、光井政美等の人達と共に鍍金を業とする合資会社四綸王電鍍所の設立を企て、同年四月中右営業に使用すべき家屋として本件家屋を代金三六五、〇〇〇円で買入れ、これに相当の費用をかけてその修理及び増築をし、爾来右家屋を鍍金業の用に使用しているものである。そして右家屋の買受及び増修築に要した費用は劉咸や控訴人斎藤等において共同支出(劉咸の支出は三八五、〇〇〇円)した関係上、右家屋は実質的には同人等の共有に属するものであつたが、家屋買受費の大部分を劉咸が出した関係上、登記名義はこれを同人名義とすることとし、昭和二八年四月八日前主西田甚作から劉咸名義にその所有権移転登記を受けたものである。ところが劉咸は右家屋買受等に要した金員を被控訴人から借入れ、前記の支出金もすべて被控訴人からの借入金からこれを賄つており、被控訴人に対しては右家屋は名実共に同人の単独所有であり、ただこれを使用して控訴人斎藤との鍍金の共同事業を営むものと称しており、本件家屋が同人の所有名義となつた後はその登記済証を右借受金に対する担保の趣旨で被控訴人に預けていたものである。そして劉咸はその後同年九月になつて被控訴人に対する右借受金の返済ができないところから、その弁済に代えて本件建物の所有権を被控訴人に移転することとし、同月二四日その所有権移転登記を了したものであり、被控訴人は右建物の所有権が名実共に劉咸に属することを信じてその移転を受けたものである。そして右所有権移転後被控訴人は劉咸及び控訴人斎藤よりの申出に応じて、同年一〇月一五日右家屋を同控訴人に被控訴人主張の約定で賃貸し、同控訴人においてこれを賃借したものであつて、なおその際同控訴人は被控訴人から金八万円を被控訴人主張の約定で借受けたものである。ところが控訴人斎藤は右家屋の賃料中同年一一月分の支払はこれをしたが、その後の賃料はこれを支払わないものであり、また右借受金八万円もその支払をしないものである。

右の通りに認定できるところであつて、乙第三、第四号証の各一の記載、原審証人光井正美、大日方弘、斎藤ちよの各証言及び控訴本人の原審供述中には右認定に反する部分もないではないが、採用できないところであり、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

二、控訴人等は、劉咸は不正入国者であり、また中共治下の国人であるから、本件家屋の所有権を適法に取得し得ないと主張する。しかし右主張は以下の理由によりこれを排斥せざるを得ない。

(一)、外国人の我が国における財産取得に関しては、外国人の財産取得に関する政令があるが、右以外には格別これを制限すべき規定はない。そして右政令によれば、外国人が土地建物等に関する権利を取得するには主務大臣の認可を要することとせられ、その認可のない財産取得は効力を生じないものとせられているが、同令第二三条の二に基く昭和二七年大蔵通産省告示第一号によれば、右告示の別表に掲げる国の国籍を有する者には右政令の規定はこれを適用しないものとせられている。従つて外国人が我が国において土地建物等に関する権利を取得し得るか否かは、一に右告示の別表に掲げる国の国籍を有する者であるか否か、また若し右別表掲記の国の国籍を有する者でないときは、主務大臣の認可があるか否かによつてこれを定むべきであり、当該外国人が不正に入国した者であるか否かはこれを問題とするの限りではないと解すべきである。従つて劉咸が不正入国者であることを前提とする控訴人等の主張は、その不正入国であるか否かを問うまでもなく、既に以上の意味において失当であるが、更に劉咸が昭和二七年一一月一〇日中華民国人として外国人登録を受けていることは当事者間に争いのないところであり、右のような外国人登録のせられている限り、同人に対する在留許可はせられているものと認むべきであるから、この意味においても右控訴人等の主張は失当であり、到底排斥を免れない。

(二)、前示告示の別表には中華民国の記載がある。従つて中華民国の国籍を有する者は主務大臣の認可がなくても土地建物等に関する権利を取得することができる。ところが本件において控訴人等は、劉咸は中共治下の国人であるから中華民国の国籍を有するものということはできない旨主張する。しかしある人がある国の国籍を有するか否かは、その国の国内法によつてこれが与えられているか否かによつてこれを決するの外はないものであるが、今劉咸の場合につきこれを考えてみるのに、劉咸が昭和二七年一一月一〇日中華民国人として外国人登録を受けていることは前記の通りであり、また中華民国駐日代表団僑務処にも華僑として登録済であつたこと、成立に争いのない甲第七号証によつてこれを認めるに足るのであるから、同人は中華民国の国内法によつて同国の国籍を与えられていたものと認めるのが相当であつて、このことは同人の籍貫、出生地ないし住所地が中共治下の北京にあると否と、また同人の帰着先が同地であつたと否とによつてその結論を異にすべきではないと考えられるところであるから、同人を以て中華民国の国籍を有する者でないとし、これを前提としてする控訴人等の主張また失当たるを免れない。

三、(一)、前認定の事実関係からすれば、本件建物は元来実質的には劉咸と控訴人斎藤等の共有であつたものであるが、同人等はその合意を以て信託的にこれを劉咸の単独所有としたものであり、従つて少くとも対外的な関係では本件物件は劉咸の所有に属するところであつて、この劉咸から善意でその所有権を譲受けた被控訴人は適法にその所有権を取得したものと認むべきである。

(二)、控訴人等は甲第二号証(建物賃貸借契約証)と同第四号証(借用金之証)はただ形式だけのものと主張し、控訴人斎藤はその原審供述において右主張に副う供述をするのであり、乙第三号証の一にも同趣旨の記載があるが、同控訴人において、たとえ一ケ月分だけにもせよ、本件家屋の賃料を支払つた事実に前示甲第六号証の一ないし五を対照して考慮すれば、右控訴本人の供述及び乙号証の記載は到底採用できないところであり、他に控訴人等の右主張事実を認めて前示の認定を覆すに足る資料はない。

また控訴人等は、被控訴人は劉咸と共謀の上既に昭和二八年九月二四日被控訴人に売買登記がされているのにこれを秘し、抵当にして金員を貸与するような詐欺的言動に出て、控訴人斎藤の錯誤を利用して意思表示をさせたもので、従つて本件建物の賃貸借及び金員の借入は共に無効であると主張する。そして控訴人斎藤が本件家屋の賃貸借及び金員貸借の当時において、本件家屋の所有名義が既に劉咸から被控訴人に変更せられていたことを知らなかつたことは控訴本人斎藤の原審供述によりこれを認めるに足るのであるが、同控訴人が被控訴人に対し本件家屋の賃貸借契約証を差入れている事実、たとえ一ケ月分にもせよ、その賃料の支払をしている事実、また成立に争いのない甲第五号証に原審証人田宝民(第二回)、小泉勝五郎の各証言、被控訴本人の原審供述及び原審証人斎藤ちよの証言の一部を綜合して認められる、本件家屋の敷地の所有者は訴外小泉勝五郎であるが、被控訴人は昭和二九年六月一一日同人方に至り、名義書替料を支払つて右敷地の賃借人名義を被控訴人名義に変更を受けたものであるが、その際被控訴人を小泉方に案内したのは控訴人斎藤の妻斎藤ちよであつた事実に前示甲第六号証の一ないし五を綜合すれば、本件賃貸借及び金員貸借の当時において、登記名義の点はともかく本件家屋の所有権が劉咸から被控訴人に移転せられている事実は控訴人斎藤においてもこれを知り、これを了承の上で右賃貸借等の契約をしたものと認めるの外はないところであるから、本件家屋の所有権の移転そのものには控訴人斎藤においても何等の錯誤もなかつたものというべきであり、右の点における錯誤がない以上、たとえ登記名義の移転のことを当時同控訴人が知らなかつたとしても、これによつて右の賃貸借等の契約を無効ならしむべき錯誤が同控訴人に存したものとは到底これを認め難いところである。また前記の金員貸借において、劉咸の言によれば、被控訴人は当初は控訴人斎藤の事業援助の意味で金四〇万円を同控訴人に貸与するとの話であつたものが、その後それが二〇万円となり、結局八万円だけの貸借となつたものであることは控訴本人斎藤の原審供述によつてこれを認め得るところであるが、これも、かかる事情から本件金八万円の貸借契約が無効となるものとも認められないところであるし、またこの事情に前認定の他の事情を加えて考えてみても、本件において前記の賃貸借契約を無効とすべき事情があるものとは到底認められないところである。

四、被控訴人が控訴人斎藤に対し、昭和二九年八月一九日到達の書面を以て賃料不払を理由として賃貸借契約を解除すべき意思表示をしたこと、また控訴人等がいずれも本件家屋の被控訴人主張部分を占有していることは当事者間に争いがない。

そうすれば被控訴人と控訴人斎藤間の本件家屋の賃貸借契約は、前認定の契約約定に照し、被控訴人の右契約解除の意思表示により解除せられたものであることは明かであつて、同控訴人は被控訴人に対し本件家屋を明渡し、且つ昭和二九年一月一日以降右家屋明渡済に至るまで一ケ月金一五、〇〇〇円の割合による賃料及び賃料相当の損害金を支払うべき義務があり、また控訴人東都金属表面加工協同組合は、本件家屋の所有者たる被控訴人に対し、同家屋のうち控訴組合の占有部分である階下北側作業場約一二坪及び階上西北隅の三畳一室を明渡すべき義務があることは明かである。また控訴人斎藤は被控訴人の貸金請求に対し金八万円及びこれに対する貸付当日以降完済に至るまで約定利率を利息制限法の範囲内に引直した年一割の割合による利息及び損害金を支払うべき義務があることもまた明かであつて、控訴人等に対し右各義務の履行を求める被控訴人の本訴請求は正当である。

しかし劉咸と被控訴人間の本件家屋の所有権の移転が有効であり、また控訴人斎藤と被控訴人間の右家屋の賃貸借契約もまた有効に成立したことは前記の通りであるから、右所有権移転契約の無効確認と、またこれを前提とする所有権移転登記の抹消登記手続とを求め、また右賃貸借契約が無効であることを前提として、不当利得として支払済賃料の金一五、〇〇〇円の返還を求める控訴人斎藤の反訴請求は全部失当であつて到底排斥を免れない。

五、よつて右と同趣旨に出て被控訴人の請求を認容し、控訴人斎藤の反訴請求を排斥した原判決を相当とし、本件控訴を棄却すべきものとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条、第九五条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 薄根正男 奥野利一 山下朝一)

目録

東京都北区田端新町三丁目一一五番地

家屋番号 同町一一五番二

一、木造ルーヒング葺二階建作業場兼居宅 一棟

建坪 一四坪二合五勺

二階 八坪七合五勺

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